コラム:日本の環境問題

サスティナブル

本日(2018/10/20)鎌倉で開かれた会議。主催は鎌倉ユネスコ協会と言って、初代会長は平山郁夫画伯、とのことで、きわめて善良な人々の集まりでした。持続可能な社会を目指す活動の報告を伺ってきました。

「世界を変えるための17の目標」(SustainbleDevelopmentGoalS)=SDGs自動代替テキストはありません。

いわし

サンマがここのところ不漁続きだそうです。昔からなのですが、サンマが捕れない年は、鰯が豊漁だそうです。理由はよくわかりませんが、そのようです。今日(2017/8/24)聞いた話では、ほかにも理由があるようで、ロシアから閉め出された日本のサケマス漁の漁船が、鰯漁に精を出しているそうです。また、冷たい海を好む鰯が、たまたま、今年日本沿岸の水温が少し低かったため、豊漁、とのこと。鰯で一杯ですね?

珊瑚

昨日テレビ(H20.4.6)を見ていたら、最近CO2が多く海に溶け込んでいるそうである。それが原因のようで、海が少し酸性にシフトしてきていて珊瑚がどうも痛い目にあっているようです。珊瑚に親戚はいないので、同情してはいないのですが、珊瑚が死滅すると、どうもそこにすむ魚も運命を共にするらしい。やはり思ったとおり食卓の風景が少しずつ変わっていきそうな気配、今後この手のニュースに注目してみたい。(くじら)

屋久島に首折れ鯖というさばがある。一本つりで吊り上げ、その場で首を折って絞めるのである。ご存知の通り鯖は足が速いのでこのようにすると刺身でいただけるそうである。おそらく大変美味であろうことがわかる。なぜなら鯖はマグロと同じ種族なのだから日本の皆様のお口に合うこと請け合いである。屋久島で漁師をやっていた友人に10年前聞いた話である。その友人が鯖があまり取れなくなったとこぼしている。鯖の寿命は6年くらいあるそうだが、最近の日本周辺の鯖の水揚げでは、ほとんどが3年物だそうである。確か鯖は2年目から子供を作ることができるはずだから、きわどく絶滅しないラインである。人間でも30させごろ40しざかり50ござむしりといって、もっとも盛んに子孫繁栄を目指しているのだから鯖にとっては気の毒な話である。鯖にも何とか長寿を全うしてもらいたいものだ。

バッファロー号(その1)

季節は春、通勤の道々さまざまなものに季節を感じてしまう。慶応大学の前の道はよく整備されていて中央分離帯には無数の土筆が顔を出していた。毎年のことではあるのだが、その場所がら土筆狩りされないままスギナに席を譲るのである、残念なことだ。この道路はそんなに古いものではないのだが、もうひとつ残念なことがある。自転車用の通行帯がない、もし強行採決で道路財源を確保するのであれば土筆狩りなどできる自転車道を全国に整備してほしいものです。もちろん望むべくもありませんが、わがバッファロー号は人知れず悲しんでいるようです。 

バッファロー号(その2)

(夢の大地)と言う碑がこの道にある。慶応大学からだと2~3kmぐらいなのだが、この道を建設した意義が熱く熱く語られている。なんとしても後世にこの偉業を伝えたい、との思いがひしひしと伝わってきて、なんともほほえましいのだ。この碑をまじめに読む人が私一人だとしても、もったいないなどと決していわないでほしい。でも冷たい世間が許してくれるだろうか。

バッファロー号(その3)

特にゴルフ練習場の前の通りに咲いている。中年草と呼んでいる花がある。オレンジ色に近く花びらの先端に行くほどその色がさめ、白っぽくグラデーションがかかるのである。咲いたばかりであるのにすでに色あせていることから、ちゅうねんそうと呼んでいるのである。数年前口座開設のおまけとしてポピーの鉢植えをもらったことがある。それとよく似ているので、もしかしたらポピーかもしれない。だとすると、ちゅうねんそうでは申し訳が立たない。けれどもタンポポのほうが私にはよほどきれいなのだから勘弁してほしい。タンポポと言えば、西洋タンポポがもはや日本タンポポを凌駕していると言う。絶滅危惧種に指定されているのだろうか心配している。何しろ日本タンポポのほうが何か上品に見えるし、判官びいきをしてしまうのだが、皆様はどうお思いになるだろうか。

レジ袋

最近レジ袋に対する風当たりが大変強まっている。材質はポリエチレンである。レジ袋の何がいけないのだろうか。考えてみた。

原料は石油である。きっとこれはいけないことだろう。次に家庭から出るごみの入れ物として使われている。特に生ごみの排出用として重宝である。これがなくなると生ごみはおそらく新聞紙等にくるんで出すことになる。現在家庭用生ごみ処理機が普及しているが、我が家の処理機は水を飛ばして大幅に減容するタイプなので、家庭菜園用としては使えない、したがって燃えるごみとなっている。ポリエチレンは有毒ガスは出ないことになっている。一方紙はもし塩素系漂白をしている場合にはダイオキシンの発生が懸念されるのだが、その点は大丈夫だろうか?こう考えると、ごみの焼却に問題があると思われるのだが、使い捨てがもったいない、との議論がある。確かにもったいない。しかしこれもリサイクル/リユースの考えが本流のように思われるのだが、なくしてしまえ、では乱暴すぎる気がする。むしろ、大量に使われているのは食品の梱包用としてのプラスチックである。このリサイクルやリユースが今最も緊急の課題のように思えるのだが、

 

続レジ袋

レジ袋排斥運動にはなんとなく違和感を感じていたのだが、その原因がようやくわかった。つまり、なんだか少し損をしている気分になったからなのだ、何しろ、今まで、サービスでいただいていたものが、有料になってしまうからである。私も相当尻の穴の小さい男だから、おそらく心の奥底で、すこぶるけちになっていたのだろう、それを隠そうとして、いろいろ考えたのかもしれない。そこで実に良い考えが浮かんできたのである。つまり、レジ袋を断ると、一律5円ディスカウントする、と言うのはどうだろう。こうすれば、たちどころにレジ袋は姿を消すに違いない。スーパーの経費削減対策でなく、必要のないレジ袋のみ、減らすことができるのである。こうすれば、真にECOに貢献することになると思うのだが、いかがであろうか、幸い湘南台のダイエーではレジ袋要らないカードで対処している。ありがたいことである。

クールビズ

また夏が近づいてきた。今年もまたクールビズをやるのだろうか、福田さんである。果たしてネクタイを取るのだろうか、どうもその形がイメージできない。羽目をはずすタイプではないから、今からそのいでたちを楽しみにしている。でも、クールビズは何か良い結果が出たのだろうか、私はもともとネクタイが好きではないので、年がら年中クールビズである。おそらく、冷暖房の設定温度を極端にしないためのキャンペーンと思うのだが、実はそのことで、ネクタイ屋さんが大変な危機に直面したそうである。つまりキャンペーンがみごとに成功したのである。でもこれってどこか変な感じがしないかな?(ネクタイ屋さんが悪いことをしてきたわけではないと思うのだが)私などは相当浅はかな人間だから、小泉さんが颯爽と現れたときにはつい拍手などしてしまったのだが、今話題の後期老人医療なども小泉さんの仕業だったそうである。知らなかった。地方の郵便局も相当つぶれているようである。(亀井さんのほうが正しかったのかな?)いろいろな利害が錯綜してとても素人が手を出せることではないようである。ただ、洞爺湖で福田さんがどんなファッションで登場するか、すごくたのしみにしていることだけは事実である。

続クールビズ

福田さんがクールビズ、と称して かりゆしウェアを着ておられた。単にネクタイを取ることで、済まさなかったことに胸をなでおろしている。ほかの閣僚は、ネクタイを取ったり、てんでに軽装になっていた。全員がかりゆしウェアであればそれなりのインパクトがあったのではないかと思えて、まことに残念であった。政治的なパフォーマンスにもなっていなかったのは福田さんらしいのだが、クールビズは、注目されなくなり、福田さんを最後に廃れていくのであろう。それはそれで少し寂しくもあり、また、まともになってきたのかな?などと思う今日この頃である。しかし、まだ洞爺湖サミットが残されている。私としてはぜひ、浴衣、もしくは甚平あるいは、さむえなどを、開催国の権限で、皆さんに着てもらったらいかがであろうか、温暖化に対する各国の本気度が試される良い機会ではないだろうか。小泉さんではなく福田さんである、あまり風変わりなことは期待しないほうが良いかもしれない。

竹やり訓練

4年前にECO株式会社を設立したころはこんなにeco、ecoと叫ばれていなかった。したがってECO株式会社の名前はすぐに取れたのだった。これからはエンジニアがリスペクトされる時代かな、と思ったものである。何しろこの温暖化を阻止するには画期的なテクノロジーが必要になってしまったのだから。簡単に言えば、今の心地よい生活をさらに向上させながら、CO2の排出を産業革命以前に戻さなくてはならない、これはもう大変なことなのだ。人口にしても現在68億人で、あと40から50年で100億人になるそうである。アジア、アフリカ、南米の途上国を中心に過去私たちが経験してきた人口爆発の真っ最中、と言ったところだ。なぜ人口爆発が起こるか、と言えば、多産多死から多産少死にまずなるからだそうです。その後、少産少死=超高齢化社会へと推移し、均衡していくそうである。出生率で見ると先進国でこの50年で2.8人から1.6人に減少し途上国でも6.2人から3.1人に激減しているのである。とはいえ、今の倍以上の人々の希望するエネルギーをCO2排出なしで供給する、難事業なのである。これを成功しないと、温暖化の前に戦争が起きてしまうかもしれない。食料とエネルギーの争奪戦である。まあ悪いシナリオには事欠かないのが現状と言える。63年前の世界大戦(石油と貧困が遠因か?)では日本のご婦人たちは銃後の守りとして、竹やり訓練をして米軍の上陸に備え、訓練を怠る人や、批判する人に対しては非国民とののしったばかりでなく、硫黄島に送られそうになったりしたらしい。今朝テリー伊藤さんが24時間コンビニをやめさせる動きを奨励していた。以前の石油ショックのときにも深夜テレビが批判され、夜が寂しくなったものである。日本の場合大体精神論が出てくるとまず良い方向に行ったことがない。大変ではあるけれども、われわれ凡人でも出来る長続きのするECOを提案してほしいものである。



▲ページトップに戻る