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怪談
♪…静かな尾瀬野の小道・・・♪ と歌うのは、“夏の想いで”の一節だ。今から、もう少し暑くなれば、“ゆうれい”の季節でもある。 “ゆうれい”も冬の間は、クローゼットの中で夏物衣料にはさまれて窮屈につり下がって、出番を待っている。 常人には見えないだけで、各々の家には新旧に拘わらず幾人かの“ゆうれい”が住んでいるものだ。勿論、我が家にも2人はいる。
それはともかく、“ゆうれい”と言って思い浮かぶのは、パトリック・ラフカディオ・ハーン、日本名:小泉八雲である。彼は、ギリシャのレフカダ島生まれ、父はイギリス軍軍医、母はギリシャ人であったが、両親を早く亡くし19歳でアメリカへさらに1890年に日本へ、島根県松江の中学校英語教師を経て東大教授、この時代に「怪談」を発表、のちに早大に招かれた。
彼の作品のうち、特に、「耳なし芳一」が耳に残る。耳の話だけに、耳に残ると言うのは、我ながら出来のいいシャレである。
あれは、小学6年の時、担任であった先生が、「林間学校」で“度胸試し”の前に話していただいたと記憶している。頭が悪いせいか、詳しく覚えてはいないが、それでも、“ゆうれい”のうちでも、妖怪が出てきて人を食べてしまう話で、琵琶法師である芳一が、頼まれて、そんな場所で、琵琶を奏でなければならなくなってしまった。それを憐れんだ高名な坊さんが、芳一の体の隅々まで経文を、祈りをこめて書きこむ、こうすると妖怪には見えないのだ。そんなことで、安心しきった芳一が、その場所にでかけ、琵琶を演奏、曲目は「平家物語」で ♪・・・祇園精舎の鐘の声諸行無常の響き有・・・・・で始まり・・・精舎必衰の断りを表す・・・♪と続くあれである。
芳一、切々と語りつづける。と、そこに現れたのが、かの妖怪、声はすれども姿は見えぬ。それでも、よくよく見れば、両耳が浮かんで見える。がっかりした妖怪は 「しょうがねえなー耳でもいいか?」とパクリ、名残惜しそうに去ってゆく・・・・・そう、経文を耳に書き忘れたのだ。そんな訳で、これからのち彼は「耳なし芳一」と呼ばれるようになった。
だがしかし、この話本当は少し違っている。真実はこうだ、但し、おぞましい話でもあるので、語る人はいなかったが、あえて私が悪人になって語り継ぐことにしよう。・・・・・前述のくだりは同様なので異なる件だけ書くことにしよう。真実は耳にも書かれていたのだ。
では、どこを書き残してしまったのだろうか?・・・ん?・・・実は、こともあろうに、芳一クンの二つしかない「タマ」いわゆる局部のである。多分、高名な坊さんも、あまりにも汚らしいし、シワシワで書きにくくもあったので嫌になったのかもしれない。まあ、それはともかく、演奏に熱の入った芳一クン、着物の肌けるのもかまわず夢中で奏でているうちに、汚い「フンドシ」もゆるんでしまう。これを称して世間では「ユルフン」と言う。そんな状態だから「ポロリ」と「タマ」はみ出した。いわゆる、「ハミキン」である。妖怪もあまりにも汚いので驚いたのだが、そこは妖怪である、「パクリ」と食べた。もちろん、芳一もビックリ、まあ、ここで驚いても「アフターフェスティバル」日本語では「後の祭り」とでも言うのですか?こんなことでその後の彼は「タマなし芳一」と呼ばれたのだ。
よく宴席で「タマ」を出す人もいるが、そのうちに「ポロリ」と「タマ」を取られたりしちゃうのだろう。可哀そうだが仕方がない。そして、この話も心ある人々の間で長く語り継がれることを祈ってやまない。
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