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SWING
音楽の成績は、いかがなものか?と、いった程度であったが、まあ、平たく言えば“2”だった。 しかし、聞くのは滅法好きだ。主に、イージーリスニング系(年齢を隠す目的で“系”を使ってみた)に偏る。クラシックから「美空ひばり」まで幅はある。広く浅くである。40数年前いわゆる社交ダンスが流行していた。パーティーが毎週のように開かれ、随分誘われたものだ。
ジルバはジミーとハリケーンズの「レッドリバーロック」、ブルースではベニー・グッドマン「メモリーズ・オブ・ユー」が特に好きだった。 「キング.オブ・スイング」の異名をもつ、ベニー・グッドマンは「シング・シング・シング」が代表作でもあるが、モーツアルトの「クラリネット協奏曲」は評判がよくレコードにもなっている。
ところで、ベニーは貧しいロシア系ユダヤ移民の家庭で育った。無料で音楽が学べる地元の教室で、10歳からシカゴ音大の元教師フランツシェップの下でクラリネットを習得、天才的な能力を発揮11歳でデビュー、1935年26歳の時、有名ダンスホール、パロマーボールルームで大成功、全米での人気バンドにのし上がった。
1938年29歳の時には「カーネギーホール」で最初のジャズコンサートを開いたことで名声を上げた。 映画「ベニー・グッドマン物語」(1955年公開)がDVDになっているので、主な出演者を、ざっと紹介してみよう、主演は当時テレビ司会者だったスティーブ・アレンがベニー、恋人役のアリスには1953年にアカデミー助演女優賞、「うちのママは世界一」のドナ・リード。
共演ミュージシャンでは、トランペット:ハリー・ジェームス、バイブラホン:ライオネル・ハンプトン、ボーカル:マーサ・ティルトン、と、有名どころが名を連ねている。ファン必見であろう。バンドメンバーには、ドラムスのジーン・クルーバ、ピアノ、テディ・ウイルソン、サックス、スタン・ゲッツなどがいた。
人種差別の激しかった当時、多くの黒人ミュジシャンを雇った最初の人物として、尊敬を集めた。 それはそうと、すでに述べたように音楽的な才能とは、縁もゆかりもない私であるが、1曲だけ作詞作曲しては見た、みっともなくて人にお聞かせできるものではない。
娘たちは、3歳からピアノを習っていて今でも少しは、弾いている。そんなものに、聞かせる訳にはいかない。出来の悪さは一目瞭然で、威厳も尊厳も保てない。それでも、是非、聞かせろと責める、もっと責めると、泣いてしまう。
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