2008年7月23日

ヨロレイヒ

西洋、それも、オーストリアやスイス当たりでは、牧童たちの伝達手段として、ヨーデルがある。裏声を使ったやつで、山ヤマにこだまして、美しい音色である。日本でもウイリー沖山が有名だ。“山の人気者”の歌詞のなかに♪娘と言う娘は、ヨロレイヒ~?とある。

それは一寸置いといて、鬱陶しい梅雨は、そこいらで、雨宿りするかのように足踏みしているが、来週にでもなれば、物凄い暑さがやってきそうだ。かなりー(現代言葉使い)好きな季節である。そう答えて”ふと”思ったのだが、じゃあ嫌いな季節があるのか?冬は、好きなスキーシーズンだし、春,秋は絶好の花見であり好もしいに決まっている。

マア、1年中楽しい訳では有る。夏には特別の出し物があってそれも好もしい原因の一つである。そを、幽霊なのだ。熱い季節に妙に気味の悪い涼風がスーっと流れると、柳の袂なんかに足のない女が、着古した浴衣を身にまといでる。こお言ったタイプは実にオーソドックスでヨーデル。ヨロレイヒ~であるのだ。このフレーズを使いたいために、出だしの二行を使用してしまったことは、ここでお詫びせねばなるまい。どうしてどうして、長い引用では有った。

それはそうと、日本での幽霊は、人が亡くなる時に魂が抜け、それが霊魂になってさまようとされている。実際に直前の体重死後の体重は一瞬にして変化するそうで、減少分が“魂”だ とされている。そう言ったことで、この国には、ことのほか幽霊が多い。

ただ、見える人と、見えない人がいてその人にいくら説明しても、わかってはくれないだろう。子供時代には(幼少期)すべての人に見えていたのだが、大多数の人が忘れてしまい思い出すことも出来ないらしい。

覚えている人でも、年を重ねるごとに見なくなるそうだ。従って、私などはもう見えない年齢となってしまったので、少し寂しい。私が最後に観た幽霊は、二十歳頃、夏の夕暮れ時、防波堤の上を歩いている、前方から浴衣を着た女性がやっつて来る、すれ違えない幅の防波堤。近ずいてきたその人は、私の中をすり抜けていった。スーッと涼風、振り向くと徐々に透き通ってゆく女性。それにしても、年をとって見えなくなるのは、度の増してゆく老眼のせいなのだろうか?



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