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デビュー
機械の最終チェックをしている時に、その出来事はおこった。
細かい部品の組み付け状態を確認していた、木下君、部品に顔を近づけたり離したりしている。時折やや短めの首をかしげしたりしている。見えにくいのかもしれない。私が年中そうしているように「メガネ」を、ヒョイと額に押し上げ、改めて部品を穴のあくほど見つめながら、素っ頓狂な声を上げる。「アレーッ、眼鏡をはずしたほうがよく見えまっせ!」とは言わない。
関西出身ではないからだ。東北の物凄い田舎出身だから、「あんれまあ、眼鏡ばはずすたほうが、よぐめえる!」とナマリ丸出しで言う。いかにも、地方出身者の素直さがそのまま出てくる。そう、木下君は律儀者なのだ。
ことわざで“律儀者の子沢山”とも言うが、そのとうり、彼にはたくさんの子供がいる。それはともかく、木下君、目の前に起こった事実を理解できないでいる、のーたりんのせいだろう。こんな時こそ、幾多の苦渋や辛酸を嘗めつくしてはいるのだが、大半を身につけることなく、あくまでも軽く、トイレの電球のごとき老人である私が、木下君に説明せねばなるまい。「そんな状態のことを、“老た瞳”と言い、世間では「老眼」と言うんだぜ」と、親切そうに教えたのである。
木下君「エッ!」と驚いた。さらに、「若いうち近眼の人が、老眼を発病すると近眼は少し改善されるのだ。そうでない人は、老眼鏡をかけなければ近くの小さい文字は読めない。近眼族は近眼用眼鏡をはずせば、至近から文字を判読できるのです」と、優しく諭す。
これまで、驚くほど長い人生を歩んできたが、至らない者に対して、深い愛情で接する老人を見たことが無い。世間では、こんな私を指して、「異常と言えるほど軽い老人では有るが、人に対しては、神仏をも凌駕してしまう」と、評するが、真に受けたりするところが随分恥ずかしい。まあ、いずれにしても、子沢山の木下君は、とどこうりなく「老眼族」の仲間入りを果たした。お祝いに、ビールでも飲むか。
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